築城以来250年にわたる島原藩の歴史遺産や史料・作品、また、約198年振りに噴火活動を開始し、尊い生命や甚大な被害をもたらした「平成3年雲仙普賢岳噴火災害」の資料などがあります。
島原城は元和4年(1618年)から松倉豊後守重政が築いたものです。総塗りごめ、白亜五層天守閣を中核として大小50の櫓を要所に配し、これを囲む矢挟間塀の長さは総延長2233メートルという規模の大きさで安土桃山時代の築城様式をとりいれた壮麗なものでした。
平成2年(1990年)11月より198年ぶりに雲仙普賢岳が噴火し、その噴火によって形成された溶岩ドームを平成8年(1996)年5月20日に「平成新山」と命名されました。溶岩ドームとは、ねばりけの強い溶岩の噴出によってできる火山体で、平成3年(1991年)5月20日に初めて出現し、以来つぎつぎと押し出される溶岩により火口付近に巨大な溶岩ドームが形成されていきました。
その結果溶岩ドームの高さは普賢岳山頂(1359m)より高くなり標高1483mにもなっています。
多くの人々に火山活動のメカニズムや植生の変化などについて「科学する心」を養ってもらう目的で建設されました。
垂木台地という高台にあり「平成新山」が最も近くに見える所にあります。
島原城の西に続く一帯を、鉄砲町と呼びます。
鉄砲町は島原城の築城とともに形成され、鉄砲町の名は鉄砲組(徒士)の住居地帯であったことと、造成当時隣家との間に塀がなく、まるで鉄砲の筒の中を覗くように武家屋敷街が見通せたので、その名がつけられたと言われています。
島原市は、古くから「水の都」と呼ばれており、雲仙山系に涵養された水が市内随所から湧出し、「島原湧水群」として昭和60年(1985年)1月、環境庁の全国名水百選に選定されています。昭和53年(1978年)、下新町町内会では、豊かな湧き水(日量10000t)を観光に活かそうと、町内の清流に錦鯉を放流しました。紅白、三色、黄金等、大小約1,000匹の錦鯉が、観光客の目を楽しませています。
愛称:がまだすドーム
平成14年7月1日オープンした全国初めての火山体験学習施設です。
火山を見る・体験する・遊ぶ・学ぶ・憩う。火山に関する知的エンターテイメントがギッシリ詰まった一大空間です。
イルカは定住しているため、季節に関係なく99%の確立野生のイルカを見ることが出来ます。
今度の休みは家族みんなでイルカウォッチング!都会では、触ることが出来ない島原半島の海・山の大自然を満喫して下さい!
森岳商店街は島原城築城時に新しく開かれた城下町のひとつで、当時は島原街道が通り、江戸や長崎に結びつき、人と物の往来が多く、旅籠や酒造場、木綿問屋等が集まる街でした。
青い理髪館は大正時代に起こった洋館ブームの波により建築され、数年前までは実際に床屋さんが営業していました。現在は、リニューアルを経て「青い理髪店」として蘇り、1階は当時の床屋さんの様子をそのままに残した、大正ロマンを感じることのできる洋館です。